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自虐史観、もうやめませんかー(2)

アメリカでの滞在が長引いてしまって、

更新できませんでした、すみません。

前回の話を続けます。

私は、老婆の家のドアを叩き、待ちました。

しかし、誰も出てきません。

15分ほど経ち、もう帰ろうかなと思ってたら、

背中をたたく方がいました。

最初、言葉がわかりませんでしたが、

あの老婆でした。

私はこの国の公用語知らないので、

「あのう、日本の者ですが、あなたにお話しを聞きたくて参りました」

と言うと、

老婆は流暢な日本語で

「あらまあ、ようこそ」

と、言って、家に入れてくれました。

「よろしいんですか」

と聞くと、彼女は、

「日本人なら安心だから」

と言って、躊躇なく家にいれてくれました。

老婆は、

「あのときのお医者さんですね」

と、言いました。

なんとも見事な日本語に私は驚くばかりでしたが、

私は老婆に聞きました。

なぜ、私がパラオを救うために来たとおっしゃったのかを。

老婆は、

「日本はあの戦争、大東亜戦争ね、我々を救ってくれたんだ」

「あたしはペリリューで生まれ育ったの」

そう言いました。

私はペリリュー島のことは、

少しだけ知っていたので

静かに聞いていました。

「大東亜戦争!」

太平洋戦争でもなく、第二次世界大戦でもなく

大東亜戦争と言う。

老婆はそう言いました。

町は徹底的に進展し、豊かな暮らしが

初めてできたそうです、日本統治時代。

それまでは、ほぼ白人の奴隷だったそうです。

一切の自由も人権も無かったそうです。

老婆がおっしゃるにはですが。

もっといろんな話はあったのですが、

とりあえず

私は老婆に、用意していた着物をあげました。

着てみてください、と、言いました。

お似合いでした。

が、老婆、外に出て、帰ってきません。

しばらくして、

村中の人が来て

いい日本人、いい日本人と

みんなが声をあらだかにして集まってくるのです。

日本語で。

小さい祭りが行われ、感激しましたが。

お着物は似合っておりましたよ。

パラオに幸あれ。

終わります。


ずいぶん省略しましたが、すいませんです。
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コメント 4

デルフィー

アメリカでしたか、お疲れ様でした。
お婆さん、お着物ホントに嬉しかったんでしょうね^^
by デルフィー (2016-07-26 08:06) 

YUTAじい

こんばんは。
本当にお久振りですね・・・パラオ何となく解る気がします。
by YUTAじい (2016-07-26 18:00) 

駅員3

おはようございます。ご無沙汰しておりました。
アメリカでの研鑽、お疲れ様でした。パラオのお話し、心にぐっと浸み込んでいきました。おっしゃるように、戦前のことは正しい事実を基に、色々な方面からしっかり再評価すべきだと思います。もちろん良い面も、悪い面も。
by 駅員3 (2016-07-27 07:18) 

笠原嘉

ありがとうございます。感激しました。
意味ある敗北だったわけですね。
by 笠原嘉 (2017-07-25 13:15) 

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